コルベルク (映画) - Wikipedia

『コルベルク』(: Kolberg) はの長編映画であり、1943年から1944年にかけて()監督のもと撮影された。封切は1945年1月30日、すなわちの12周年記念日であった。首都と、今なお抵抗を続ける()ので同時に行われた。 制作はであり、のカラーフィルムによる天然色映画である。ストーリーは作の劇作『コルベルク』と()の自伝に基づく,M93687。この映画はとして末期にドイツ国民の耐久精神の強化を目的とし、そのため「耐久映画 (Durchhaltefilm)」とも呼ばれている。 ストーリー 1806年の秋、の軍隊は、ドイツの地に順調に軍を進め、()(現領)の()した。は既にを占領し、現地司令官()は降伏しようとしていた。 しかし勇敢な市民代表()は諦めず、を組織し、全住民の戦闘動員を試みた。農民ヴェルナー (Werner) は、軍事戦略のために進んで犠牲を払い、自らの農場に火を放った。ヴェルナーの娘マリア (Maria) は、英雄的な()騎兵大尉と恋に落ちるが、シルの新たな任務を前に、彼を諦めるのであった。 若き少佐は、新たな都市司令官となり、住民を英雄的闘争へと鼓舞する。そのため、フランス軍は要塞を砲撃するに至る。しかし住民は諦めず、ついにはこの戦いに勝利したのであった。その一方でフランス軍の将軍は口論するばかりであった。 コルベルク包囲戦を「最後の戦い (Endkampf)」の歴史的前例と暗に示すべく、物語の始めと終わりは1813年に設定された。ここでグナイゼナウはを前に、コルベルクが救われたこの出来事を語る。これに応えて王は布告「()」を発し、こうして国民と軍隊が一つとなって、対ナポレオン戦が始まるのであった。 制作 のは、1943年6月1日に書面でハーランへ本映画の制作を命じた。ここではこの映画に期待されるとしての機能が詳細に述べられている。 製作費は880万にのぼり、ナチス時代を通じて最高額となった。映画にはエキストラとしてから数千人の兵士、千頭のが協力し、困難な戦況下、多大な負担となった。夏にもかかわらず冬景色のシーンの撮影をにするため、撮影地のに運ばれたのが、貨車100両もの塩であった。助監督、編集者の()は、1979年にテレビのインタヴューに応え、この映画の火薬担当()は40万ライヒスマルクの予算を組んでいたと証言した。 ゲッベルスは映画の完成後、大幅にカットした。猛烈な空襲に見舞われたドイツの都市を考慮したためである。例えばコルベルク市民がナポレオンの強力な砲火に殺戮されるシーンは精巧であったため、上映には不適切としたのである。の死亡シーンもカットされたが、印刷されたプログラムでは掲載され、この役を演じた()もクレジットされている。